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日本の朝鮮統治時代で知っておくべきことは何か3 [民主党]

 1/2【菅談話】謝罪外交に断固反対をする集会[桜H22/8/24]

2/2【菅談話】謝罪外交に断固反対をする集会[桜H22/8/24]

【村田春樹】これでも謝罪しますか?韓国反日記念館の実態[桜H22/8/31]

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※これから先の議論は、以前に書いた「日本の朝鮮統治時代で知っておくべきことは何か」の1と2 を前提にしている。

今まで見てきたように、韓国の日本に対する主張は明らかに嘘である。しかし日本人の側はマスメディアが言うままに信じてしまっている。本当にそうなのか、と疑うこともしないで、菅首相談話を鵜呑みにする日本人とは一体何なのだろうか。

戦前の日本人に責任を押し付けて、なお平気でいられる現代人の感性が信じられない。過去の歴史を否定することは、自分の依って立つ基盤を失うことに等しいはずなのだが。

☆韓国併合の目的は何だったのか

 日本と朝鮮半島の地図を見れば明らかなように、日本列島の背中に匕首が付きつけられている恰好である。この匕首のところが列強によって侵略されれば、日本も簡単に征服されてしまうだろう。

前近代的な清との冊封関係では、朝鮮を列強から守ることはできないとして、日清戦争では朝鮮の独立を第一に掲げて戦った。日清講和条約第一条は、領土でも賠償要求でもなく、『清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス』という文言だった。

その後の清は三国干渉の裏取引によって既に蚕食された状態で、列強の手(特にロシア)が朝鮮に迫るのも時間の問題だった。日本は自国の安全のために、朝鮮が一刻も早く近代化を進め、欧米列強から侵略されない独立国となって欲しかったのだ。

しかし朝鮮の支配層は、事大の先を清からロシアに変え、朝鮮国王の高宗は何とロシア公使館に逃げ込み、そこから統治するという前代未聞の事態となった。常に外国勢力を引きこんで不安定化していく朝鮮に対して、日本は大きな不安を覚えたのではないか。

日清、日露戦争は、朝鮮を巡る戦いであったことから、3度目の戦争を未然に防ぐため韓国併合を決定。

天皇陛下の詔勅には、「東洋の平和」を永遠に維持し、「帝国(日本)の安全」を将来に保障するの必要を思い、・・・・・と書かれている。つまり東洋の平和と日本の安全のために韓国を併合したのである。

日韓併合から100年経った現在の価値観で見れば、悪逆非道のように思うかもしれない。しかし当時の日本を取り巻く状況は、列強の支配に下って植民地となるか、自らが列強の一つとなるか、という選択肢しかなかった。

また、日本は当初から韓国を併合する計画があったのではなく、併合に至るいきさつがあった。このことは次回に説明する。

☆韓国併合は不法だったか

日本による韓国併合について、当時の列強諸国、英、米、仏、独、そして日露戦争後はロシアまでもが賛成している。東亜の不安定要因である朝鮮を、安定化させる勢力として日本が認められたものだろう。

韓国の親日団体「一進会(公称100万)」による合邦運動が起こっている。自国のみで近代化を図ることは無理であり、日本との合邦により日本の支援を受けながら近代化を実現するより他なしとする人々だった。 

米国の歴史家ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」では、『日本が韓国を併合したのは、新皇帝(純宗)が請願したからだった。・・・列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的手続きを踏んでいなかった』と書いている。

韓国側は日韓併合条約は無効だというが、2001年米国のハーバード大学国際学術会議で、欧米の国際法学者らは、『自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことだ。日韓併合条約は国際法上は不法ではなかった』

『強制されたから不法という議論は第一次世界大戦以降のもので、当時は問題にならない』と指摘して、韓国の学者の見解を批判した。

☆創氏改名と土地収奪は強制された?

仙谷由人官房長官8月4日発言、『植民地支配の過酷さは言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった』という。

これが本当なら、韓国の人々から責められても仕方がないであろう。実態はどうであったか。

創氏改名は昭和15年『内鮮一体』のスローガンの下、朝鮮人を日本人と対等にするため、従来あった朝鮮式の姓を残しながら、日本式の氏を作ってもよいという届け出制だった。創氏改名は何ら強制されたものではなかった。

朝鮮総督府の南次郎総督も『強制してはならない』と再三、訓令を出している。結果的に80%が創氏し、これに合わせて名前も日本式に変えたのが『改名』だ(産経4日)。

もちろん創氏改名しない人への差別はなかった。日本陸軍中将にまでなった「洪思翊」という人物は、朝鮮の姓名で通しBC級戦犯として処刑されている。

土地収奪については、韓国人によって調査がなされ、否定されている。櫻井よしこ氏によると2006年2月、ソウル大学教授の李榮薫氏らの研究で全面否定されたという。

李教授はじめ一群の研究者らの調査で、日本総督府が土地を奪って日本人に与えた事例は皆無だったこと、総督府は土地紛争をめぐる審査においては公正であったことが発表された。

黄文雄氏の指摘よると、『土地強奪は李朝両班が繰り返し行ってきたことである。「日帝の土地強奪」というのは両班の行為をすり替えたものではないだろうか』という。

仙谷氏は自らの発言について謝罪すべきだろう。

☆日本が文化を奪ったとは?

以前に李氏朝鮮当時、民衆の生活は悲惨で貧しかったと書いたが、その人たちから奪うほどの何があったというのだろうか。

文化で重要な役割を果たす文字、言葉について、学校では日本語を使うよう指導されたが、家庭や市場、鉄道などでは朝鮮語が一般に使われていた。

藤岡信勝氏によると、ハングルを学校教育に導入したのは朝鮮総督府であるそうだ。李朝時代は、一握りの特権階層が漢文で読み書きし、大多数の民衆は放置されていた。それを福沢諭吉が日本の漢字仮名まじりに倣って、「漢字ハングル混合文」を考案したという。

『朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5,200校の小学校で教えた。日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きが出来るように文字を整備したのである。』

以上みてきたように、韓国側や日本の菅政権の主張することと、史実の間にはあまりにも大きな隔たりがあることが理解していただけるだろう。問題は、それが何によって隔たりとなったのかである。

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参考・参照文献

黄文雄・呉善花・石平『売国奴』ビジネス社

中村粲『大東亜戦争への道』so-tv

 

 


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