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ヒューマンエラーに対する一つの解決法2 [ヒューマンエラー]

ヒューマンエラーを簡単に、『人間が引き起こした意図せざる結果』として考えると、いろいろなものが含まれてくると思います。

実は最近まで身体の調子が悪かったのですが、特に起床時は頭がボーっとして何も考えられません。

毎日の習慣として、まず台所に行きヤカンにお湯を沸かしながら、仏壇に供えるため急須にはお茶の葉と、グラスには冷えた水を入れ、そして自分のためにコーヒーを作り、パンをトースターへ入れます。

毎日のことなので、特に考える必要もないし、お湯が沸くまでいつものように手が動いているという感じです。

ある時急須の中に、ペーパーフィルターに入るはずのコーヒーが入っています。・・・・・・ん?、しかもお湯を注ごうとしている自分に気がつきます。

おお、これがヒューマンエラーなのか、・・・・・と感心して・・・・・・・確かに何も考えていなかった。毎日同じことの繰り返しだとこういうことに。

それからは少し意識して、急須にはお茶の葉でコーヒーはフィルターへ、とやるんですが、ボーっとするとダメですね。

今度は湯呑みの中に、コーヒーに入るはずの砂糖が・・・・・・・・・。

という訳で、大事に至らない程度のエラーは数多くやっています。

ファミレスで話に夢中になり、漬物が入った小皿にタバコの灰をポンッと。灰皿と同じ大きさだった。あなたもありますか?あるでしょう。

話を運転に戻すと前にも書いた通り、毎日車庫入れをする自宅のフェンスがちょっと出っ張っているだけで、そのままぶつけてしまうということが起こります。何で見ないのか、と思っても、もう何年も同じことの繰り返しだからです。

此処ではちょっとした違いを発見するためには、注意深く見なければならないのですが、そこに人や動物や障害物があるのでなければ、それほど気にしないでしょう。敢えて見ようとしなければ、目に映っていても気が付かない。

車庫や会社の物流センターにおける後退事故なども、同じ理由で起こっていると考えられます。(後退事故の件数は多い)

毎日同じ場所で同じように繰り返される操作には、特別な注意力は働き難いからです。

☆身体のコンディションも重要な要因

本人も周囲も認知し難いのが、身体の状態が運転操作に影響を与えていること。40度の熱があってフラフラ状態なら、運転は無理だと誰でも思うでしょうが、ちょっとした不調ならどうでしょうか。

此処では持てる力を発揮出来ているかということと、ヒューマンエラーがどう関係するのかについて考えてみたいと思います。

事故を起こした背後の要因として、注意力欠如や自己抑制の欠如が指摘されてきました。面接で話を聞いていると、よく身体の調子のことが出てきます。

腰が痛くて運転どころではなかった

身体が痛くてイライラしていた

イライラしていたところに急な割り込みをされて

首が張って前を見るのも億劫だった

疲労が抜けずボーっとしていた

全身が疲れてやる気が起きなかった

私の事例で言うと、以前は首から上がジリジリしてとても熱く感じられたのですが、そのような時はイライラしてひたすら我慢状態。しかし普段なら何でもないことが、ちょっとしたことで爆発して過剰に怒ってしまう。

よく高齢者が怒りっぽい、機嫌が悪いと言いますが、実は身体の調子が悪くてそうなっていることが多いです。怒りを表出する閾値が下がっている状態でしょう。

歯が痛い時もそうですね。我慢できないくらいの痛みがあって、仕事が手に付かなくなる。

今度は、疲労が蓄積して抜けない状態ではどうでしょうか。昨日は大変だったから頑張ってやったけど、朝起きたらものすごく身体がだるい。腰も肩もパンパンに張って動くのも辛い状態。普段の状態でないことは明らかです。

問題は、そのような状態でいつもの力を発揮できるかどうか、ということです。

このように考えると、身体の不調が運転に及ぼしている影響は相当大きいのではないかと思えてきます。

☆運転手としての寿命を延ばすこと

ひと昔前のことですが、S社のドライバーは荒稼ぎ出来るとして話題になりました。早朝から夜中まで走り回って数年間で何百万もの資金が溜まりました。その資金をもとに新たな事業を起こし、居酒屋経営で大成功した人物もいます。

その陰で、体がボロボロになって荷物さえ持てなくなった人がいることは、皆さんご承知の通りです。同業他社に移って来て、さぞかしものすごい働きをするのかと思ったら、しゃがむのも大変で腰が使えず、コルセットを巻きながら仕事をしている。

この会社は特殊であるとしても、他社だって多かれ少なかれこのような状況はあった訳です。運転手は使い捨ての時代だった。身体を壊して使い物にならなくなったら、事務員になるか辞めて行くしかなかったのです。

人の身体は、使えば使うほどダメになっていくのか。そうだとしたら出来るだけ身体を使わず、無理をしない方が長生き出来ることになるでしょう。身体を酷使すると足腰がボロボロになって、早死にするって思う人がいるかも知れません。

しかし、私はそうは思いません。酷使はいけませんが、車や機械が数年経ったら分解して整備し直すように、人の身体だってメインテナンスしなければならないはずです。ただ今までは、そういう方法を知らなかったということです。

犬や猫を見ていると、昼寝から起き出す時には必ず伸びをしているんですね。足を伸ばして、身体も伸ばして、口を空けてあくびをする。究極のストレッチです。しかし、人間だけは、(運動選手を除いて)何もしない。

今日身体を使っても、メインテナンスをせずにまた翌日の仕事に出かけて行く。疲労がどんどん溜まっていき、週末になるとクタクタの状態。もう出かける元気もないから、一日ゆっくり休もうと。

ゆっくり休んだつもりなのに、月曜日にも疲れが残って頭が冴えない。休み明けの事故が起こる要因。こんなことの繰り返しが、腕やひざ、腰や肩の張りを固定化していると思うのです。

数年も経てば身体が強張ってゆがみとなるでしょうし、いつも腰が痛い、首が痛いというようになるかも知れません。血圧が上がって成人病、あるいは内臓を悪くするかもしれません。

ラジオ体操や企業内で行われている朝の体操などはウォーミングアップなので、メインテナンスとはいえません。大事なのはストレッチの方です。なーんだそんなことかと言うかも知れませんが、実際にやっている人はほとんどいないでしょう。

代わりに言われているのが、健康ドリンクだったり、サプリメントだったり、暴飲暴食は禁止とか、夜更かしはダメとか、深酒はダメとか、或いはコンディションを整えましょう、ですが、どうやって整えるのかは不明。

身体を整えるのに、そのようなものは必要ないと思います。疲労回復の薬や痛み止めの注射なども、常用するようになれば肝臓に負担が掛かる上に段々効かなくなります。シップやマッサージなども、頻繁にお世話になるようでしたら他の原因を考えた方が良いでしょう。

先にストレッチと書きましたが、何でも良い訳ではないと思います。痛みがあったり張りが出るものもありますから、本人に無理とならない方法を選んだほうが良いでしょう。

今までは心理的側面を重視した活動をしてきましたが、今後は心身両面を統合した事故防止活動が必要であると思うに至りました。

「運転者プログラム」構築に向けて着手しました。


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仕事を投げ出してしまうと [ヒューマンエラー]

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仕事を投げ出してしまうとどうなるか。

いやいややっていると

デスクワークならうっかりミスが頻発するでしょうが、いくら間違えても後からやり直せば穴埋めは出来るでしょう。

では、もし危険ととなり合わせの仕事だったら?

_

もう辞めることにしたので、後はどうでもいい。

やっと次の仕事が見つかったけど、今月末まではこの仕事をやるように言われている。

どうにもやる気が起きない。

身が入らない。

心は上の空、という状態。

特に危険のない業務なら良いが、運転を投げ出すとどうなるか?

どうせ辞めるんだから、一生懸命にやってもしょうがないだろう。

いい加減、うんざりしているのに。

慌ただしく次から次へと急がされても、心はすでに此処にはないようです。

事例1

彼はルート配送のドライバー。

給料が安くて、こき使われる上に、上司や仲間ともうまく合わない。

次の仕事をいろいろ探して、やっと今より条件の良いところを見つけてきた。

すぐにでも辞めたいところだが、会社は代わりの人を入れるので今月一杯やって欲しいという。

いつものように会社に行くと、山盛りの荷物で大変そう。何時に終わるのだろうか。

道路も混んでいるし、余計に時間がかかりそうだ。

こうなると、いつもの仕事ではあっても、うんざり気分が重なって嫌気がさしてくる。

午後3時頃、交差点を右折時に、自転車と接触事故を起こした。

事故の概要

聞いてみると、対向車の切れ目を縫って右折し、横断歩道に差しかかった時

左から渡ってくる歩行者に気を取られ、右からスピードを出して走ってくる自転車に気が付かなかったという。

自転車がいるのは知っていたが、少し遠くにいた。歩行者がこちらに渡って来るまで間があるので、今のうちに行こうとしたら

思ったより早く自転車が来てしまったという。

ぶつかるまで自転車の動きは見ていない。

さらに聞いてみると、『いつもは横断歩道の手前で両側を確認しているのに、この時は出来なかった。』

『時間が30分くらい遅れていて、急いでいた』

『遅れると顧客が商品を引き取ってくれないと思い、焦りの気持があった』という。

さらにもう少し詳しく聞いてみると

『今月で辞めるつもりだったので、もうどうでもいい、という気持ちがあり、運転に身が入らなかった』

『次の仕事に行くんだと思うと、どうしても運転に集中できず、頭の中は次の仕事のことばかりだった』

『そのために、いつもの確認が抜けてしまったと思う』と語った。

もちろん、これは運転に嫌気がさしてしまった人のことですから

『最後まで大事にしっかりやろう』、という人には当てはまりません。

『この仕事を辞める』という状況に対して、本人がどう感じるかにかかっていると言えます。

※運転者のプライバシー保護のため、複数の事例を重ねて一つの事例としています。従ってこの通りのケースは実在しません。

体験している人は多い

私にも、事故にはなりませんでしたが、このような体験はあります。

長年過ごしてきた運転の仕事を辞め、事故防止の業務に転職が決まった時から、どうにも身が入りませんでした。

頭の中は、次の仕事のことで一杯です。

自分が去っていく仕事に対して、あまり思い入れを感じることができません。

特に、安全確認とか商品の確認とか、細かいことになるとやはりダメです。

意識してひとつひとつやっていかないと、簡単に見過ごしてしまいます。

幸い自分の場合は、事故防止をするからには自分が事故を起こしてはどうにもならない、という思いがあって切り替えることが出来ました。

おかげで、どういう状況でどんな気分になるかを、身をもって知ることが出来ました。

仕事を辞める直前の事故が多い

多くのドライバーさんの話を聞いて思うことはこれです。

実は辞めようと思っていた。

いい加減に嫌気がさしていた。

次の仕事のことで、頭の中は上の空。

辞めるのだから、もうどうでもいい。

データを取ったわけではありませんが、個別に聞いてみると多く聞かれることです。

如何に人間が気分に左右されやすいかを表していると思いますが、如何でしょうか。

会社と管理者は、個々のドライバーにしっかりケアをしていく事が必要です。

辞めていく人間にも、『最後までしっかりやろう』と思ってもらえるかどうかは重要な項目だと思います。

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慣れが自動化を生み出すことについて [ヒューマンエラー]

いつものように仕事から帰ってきて、自宅ガレージにバックで車を入れようとしたときのことです。
ガシャン、・・・えっ?
ここにある筈のないものが・・・・・・。
アコーディオン式のフェンスが、いつもは折りたたんでいたのですが、その日は植木屋さんが入っていて、隅の掃除のために開いたらしいのです。
実は同じことを何度もやっていて、あるときは工事用の資材が、あるときは自転車が、という具合に、その度にぶつけていたのです。

自宅手前の十字路で向きを変え、バックで下がってくる。車を右の角に合わせながらタイミングよくハンドルを切っていく。そこだけをうまく出来れば、もう一回切り替えしてスムーズに入れられる。

何年も同じ事をやっているうちに、そこしか見なくなっていた。
普段は自分しか動かさない場所、いつもの場所で、いつものように入ってきて・・・・。

慣れが自動化を生んでしまう。
いつも通っている道、いつもの車で、いつもの時間帯、このような状況で運転していると、周囲に関してそれほど気を使わなくても比較的楽に運転出来てしまいます。

しかしこのような時に起こる事故が少なくないようです。
いわゆるうっかりミス。

私達は初めての場面や初めての作業、操作にはとても気を使います。全体がどのように関係していて、どの程度の加減でどれだけ動いてしまうのかが、自分の感覚としてはまだ掴めていません。さらにもっと微妙な力が必要、というときは慎重にゆっくりゆっくり進めていたと思います。

自動車の運転も幾つもの細かい動作の積み重ねで、初めて運転した時の事を思い出すと、一つ一つの動作が上手く繋がらなくて、ギクシャクしたのを覚えていると思います。
そのような時は、運転に対する怖さがあって、緊張感を持って周囲を見つめていたと思うのです。

そんな事を繰り返すうちに、やがてスムーズに動きが繋がってきます。力の入れ具合、ちょっとした加減でどれだけ動いてくれるのか、これらのことが、いちいち考えなくても自然に出来るようになってきます。

自動化。体が覚えてくれるので、私達は意識したり、考えたりする必要もありません。

こういった現象は運転の感覚や注意の向け方、意識づけ、といった領域に影響を及ぼします。

もちろんそのことが、操作が楽に出来たり、効率良くこなせたり、周囲の状況をより多く把握できる、というメリットもあります。
しかしそのマイナス面が出てしまうと、大きなミスを犯してしまうことにも繋がりかねません。

しかも、ベテランになればなるほど、ミスを犯す危険性が高くなります。

これは運転に限らず、人間行動全体について言えることであり、ヒューマンエラーの問題でもあります。人間である限り避けられないのかもしれません。

人は慣れてくると何かを省略したり、目の前の状況から意識が離れてしまったり、ひとつのことをやりながら他の事を考えてみたり、と。
毎日同じ動作や作業の繰り返しだと、体だけ動かして頭は別の事を考えてしまう。
あるいは緊張感が足りなくて、何も気にせず不確定な状況に入り込んでしまう。
さらに見たつもりになって、一部分しか捉えていなかったり。

慣れが生み出す死角。
本来は意識して注意を向けないと危険な状態になってしまうにもかかわらず、安心感からそれが疎かになってしまいます。

しかし、事の重大性を考えると、何か対策が必要だと思うのですが。

そこには本人の、その状況に対する捉え方が大きく影響しているようです。


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あっ、危ない [ヒューマンエラー]

先日、自宅近くの交差点で、こんなことがありました。
前を歩いている人が横断歩道に差しかかり、交差点の中を一歩、二歩、進んでいるときに、左折車が近づいてきました。
いつもの光景のように、歩道手前でこの人が通り過ぎるまで待つものと思っていると、どんどん近づいてきます。
あっ危ないっ、と思った時に、急ブレーキを踏んで、その人の目の前で止まりました。
歩行者はビックリして、その車を睨みつけています。
一方ドライバーはというと、本人もビックリしたような表情。
まさか人がいたなんて! という感じです。

そこに人がいるのに、捉えられていない。

こんな現象がよく起こっています。
歩行者の皆さんは、横断歩道だからといって、安心してはいけません。
相手が自分に気づかないことがあるからです。
ドライバーの目を見て、こちらをきちんと捉えていることを確認してから、進んだほうが良いようです。

その車には助手席にも人が乗っており、二人で話に夢中になっていたのかも知れません。
本人に聞かなければ分かりませんが。

普通に考えれば、ありえないことですが、実はこういう形での事故が多く起こっています。
話に夢中になったり、他のことを考えていたり、ボーっとしたり、
携帯電話をしている人、
手前の自転車の動きばかり見ていて、
対向車が一緒に入ってきたので、

注意をほかに取られてしまって、そこに目が向かない。

実は私たちの注意は、同時に複数のものに向けることは出来ません。
聖徳太子ではないのです。
短い時間で、注意の対象を切り替えて見ているに過ぎない。
聞くことも、見ることも、考えることも、情報処理をするところは一緒なので、
その範囲でしか、対処できないことになります。

しかし、ながら族というように同時にいくつものことをやる人もいるじゃないかと。
練習や経験を積むことで、ある程度は出来ることもありますが、限界はあるようです。

運転中、たばこを吸いながらカーステレオを聞き、隣の人と話していると、
いつの間にか話が疎かになったり、今の曲なんだっけ?
曲がるところを行き過ぎたり、信号が変わったのに気づくのが遅れる、

注意を他に取られると、その分だけ前方の状況が疎かになってしまいます。
これが人間の特性です。

交差点ではいくつもの対象に、目を向けなければならなくなります。
それだけに、注意を取られやすい場所でもあります。
特に横断歩道では、意識して見ないと見落としてしまう事が多いのです。








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運転の感覚について 1 [ヒューマンエラー]

いつものように何気なく運転していると、時にヒヤッとさせられる事があるものです。
○ 交差点で右折する時、対向の左折車がウィンカーを出したまま直進してきて、危うく間一髪。
○ 対向車線が渋滞中。間を通って右に行こうとスタート。その時向こうから車が突っ込んできた。
○一本道を前車に続いて走っていると、眼の前で信号が黄色に。前車が急停車した。
○左折で横断歩道にさしかかり、歩行者が手前から歩いて行くので、もうすぐだと思い、タイミングを計って
発進させたところ、いきなり戻ってきた。

まるでフェイントをかけられたような、肩透かしのような体験です。
これらの背後にあるのは、次のようなものでしょう。

左にウィンカーを出している車は、その通りに曲がるものだ。
渋滞で前が詰まっていれば、譲ってくれるものだ。
このタイミングなら前も行く。
眼の前を渡っている人は、最後まで渡り終えるものだ。

ところが実際はそうなっていません。

よく言われる『だろう運転』なのですが、もう少し考えてみると、私たちの感覚として身に付いてしまった行動特性なのだ、
ということが分ります。

初めて運転した時の事を思い出すと、右も左も何が来るかわからないので、絶えず見ながら、慎重に車を進めていたと思います。
クラッチ、アクセル、ブレーキと、ぎこちない中で前方、右、左、後ろにと、注意を払っていました。
やがて操作に慣れてくると、意識しなくともスムーズに体が動いてくるようになります。
目を配る方向も全部ではなく、状況によって必要なところだけ、選択して見るようになります。
運転に慣れることによって、無駄な部分を省いて、効率的な操作と確認が出来るようになります。

長くやっているうちに、いつの間にか意識せずに自動化されている部分があって、
それでうまく行っていると、さらに行動が身についてしまいます。そのほうが楽ですから。
普段は滅多にこのような人はいないので、もしもの時のことは考えなくなります。

私たちの感覚は、慣れや自動化によって、どんどん意識しなくて良いものになっていきます。
これを変えるには、日頃の運転を意識して点検してみることだと思うのです。


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ヒューマンエラーについて [ヒューマンエラー]

ヒューマンエラーについて書かれた本やホームページは数多いのですが、読んでみるとさっぱり分らない、というのが正直なところです。フェイルセイフやフールプルーフ、組織構造や運営上の問題点、そして要因分析やら、果ては数式まで出てくることに。そして対策に至っては羅列的網羅的で、何でも出しておけば式の感が否めません。人間工学的な考え方の限界でしょうか。もちろん人間工学を否定するものではありませんが、これだけでは不充分です。
格調高く学術的に理屈を並べたところで、今起こっている事態には何の解決にもならないと思うのです。今起こっている議論の殆どは、ミスを犯す個人からは、大きく離れたところで展開されているような気がするのです。しかし個人攻撃はいけません。
福知山線列車脱線事故にしても、竹ノ塚踏み切り事故にしても、ミスを起こした本人と、本人を取り巻く会社組織や、それを見ていて何の手立ても講じなかった行政の怠慢が断罪されることになるようです。もちろん会社組織の経営上のしわ寄せが、本人の肩に重くのしかかっていることは否定できませんし、その意味では会社にも大きな責任があるといえるでしょう。

しかし、会社や行政の責任を追及したところで、ヒューマンエラーは無くならないと思うのです。
認知、判断、操作の中で起こる、いわゆるうっかりミス、分っていてやってしまったミス、これに影響を与えてしまう要因は数限りなくあると思います。日常的に出来ていることが出来なくなる時。注意して行う事が必要なのに、いつの間にか抜けてしまう時。他の事に気を取られて今やっていることが疎かになる時。
これらの要因は、その人のライフスタイル全般について言えることであり、私たちが日常経験することでもあります。
疲れがたまってどうも集中できない。何となくイライラしていて、行動が荒っぽくなってしまう。約束の時間に合わせようと焦ってしまう。いつもの事をいつも通りに行っていてポカが出る。
あらゆる次元で、いろいろな場面で影響されてしまうのが人間なのですから、どうすれば良いかの対策はとても難しい課題となりそうです。

それでもある程度の対策が立てられそうだと思うのです。
個人に焦点をおいて対応すること。
一つ間違えば大惨事、という意識が安全への基盤を固めてくれると思います。


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